ブログ主の体験談 PR

【毒親と絶縁するまで】毒親体験記・中【もう我慢できない!】

なや
なや
こんにちは、毒親育ちのなやです!

今回は、前回の毒親体験談の続きをお話しします!

【親がヤバいと気づくまで】毒親体験記・上【うちの親、おかしい?】毒親との絶縁を体験談にしてまとめています。この記事では、幼少期、親がヤバいと気づくまでの話と合わせて、ヒステリー自己愛性人格障害の毒母・ASDの毒父についても触れています。どうしておかしいと気づけたのか、毒親育ちの方はぜひ読んでみてください。...

自分の親はおかしいと気づいてしまったとき(小学生)から、絶縁を決意するまで(成人)の話です。

毒親と気づいたら、ネグレクトが始まった(13歳~)

子どもが思い通りのルートに進まなかったことですっかり失望され、今までの超過保護ガチガチの管理社会から一変して、超放置・いないもの扱いが始まりました。

みけ
みけ
急に!?
なや
なや
(親の)第二志望の中学校に入ったことがどうしても納得いかなかったみたい。受験させたのも親なのにね…

この手のひら返しにはさすがに参りました。

今まで、今日は何時に何をするか、全部毒親に決められていたので、急な手綱の放棄に、「自分が今日何をすればいいのか」が本気でわかりませんでした。

自走力というやつが全くなく、自分で考え行動できる力がなかったので、本当に困りました。

制服の着方一つわからず、制服のリボンの結び方は友人に教えてもらう羽目に。

時間管理も一切してこなかったので、当たり前のように遅刻していまう毎日。

お小遣いはもちろん0円。置されていてもお金がなければ何もできません。

親のおかしさについて調べまくった(中学生)

気づいてからというもの、いかに親がおかしいのか、「機能不全家族」「アダルトチルドレン」についてネットで調べまくり、親に訴え続けました。

しかし、子どもの言うことなんて耳に入らないのが毒親という生き物です。

親の言うことを聞かない、反抗する家庭内の異分子として、今度はひらすらに虐げられ始めました。

くろ
くろ
例えばどんな?
なや
なや
そうだなぁ…

私「歯が痛くて病院に行きたい」→毒母「その金で遊ぶんだろww」→私「いや虫歯だから…お金ください…」→毒母「なら頭下げろよ。稼げないくせに」→私「( ゚д゚)」

私「制服を1年も洗ってないからクリーニングに出したい」→毒母「お前は本当に金がかかるな!早く家から出てけ!」→私「( ゚д゚)…?」

私「ピアノを辞めたい」→毒母「こんなに金をかけたのに無駄にしやがって!ならお前の学校も辞めさせるからな!!」→私「( ゚д゚)…ナゼ…」

みけ
みけ
全部親が子をあざけるように話が捻じ曲がるんだね

ぶつかるたびに暴力暴言+脅し、というかそもそも会話が通じません。子供の人権などありません。

出来損ない、ごくつぶしとあざけ笑われ、部屋は無遠慮に漁られ、歯向かうと物を捨てられ、学校に行かせないと脅され、絶対的な家庭内権力の差に、子どもの身分で親に逆らうことができません。

 

しかし、衣食住は与えられ、目に見えるところに暴力は振るわないので、周りからはわからないんです。

しかも私立中学、周りから見たら、「お金をかけてもらっているお子さん」にしか見えません。

夜は毎日くやしさと怒りで頭の中が真っ赤になり、泣き疲れて寝落ちする有様で、毎日死ぬほど泣いても涙は枯れないということを知りました。

なお、毎日毎日大声で親と言い争い、家では結構な絶叫や、物がぶつかる大きな物音もしていたと思いますが、近所の人が何か言ってきたことも、助けてくれたことも、一度としてありませんでした

訪れた最悪の日(15歳)

毒母の暴言、暴力は日常茶飯事でしたが、どうしても忘れられない、最悪な日があります。

この日が絶縁を決意する強いきっかけになったと思います。

 

いつものように、どうでもいいことで毒母と諍いになった時。

毒母は、従わない、自分に首を垂れない娘に苛立って、つかみ合いに。

そのままベッドの端に押し倒され、首を絞められました

 

「お前さえいなければ!!!!」

父親に助けをもとめたら、敵が二倍に

もがき腕を振りほどき、パニックになりながら仕事中の父親に電話をし、夜の近所の公園に逃げました。

ホームレスがうろついており、めちゃくちゃ怖かったのを覚えています。

 

父親が帰ってくるのを見計らって帰ると、物を全部捨てられ荒らされた自分の部屋に、真っ赤な顔の毒母と、立ち尽くす毒父がいました。

父親がなだめてくれたのかな、さすがに仲裁してくれるかな、という淡すぎる希望もむなしく、

「お前、お母さんに何をしたんだ」

縁を切ることを決意

父親も、母親も、もう駄目だ。どうにもならない。

この日まで私は、自殺願望がありました

毎日辛かったから、終わったら楽になるんじゃないか、と思っていたものありますが、自身がいなくなれば、親は自分のやったことに後悔してくれるのではないか?「ごめんね」って謝ってくれるんじゃないか?と思っていました。

それと同時に、物騒ですが毎日毎日、親を殺すことでも頭がいっぱいでした。家ごと燃やしてやろうか、それとも寝ているところを…

 

しかし、この日を気にこれらの考えが大きくかわりました。

もし○してしまったら、何年も少年院や刑務所に入らないといけない。出たあともろくな仕事には就けないだろう。親を殺したという事実を一生背負うのは自分だ。

もし自分を殺しても、親に反省してもらったとして一体何になるのか?いや、あの親が反省するわけがない。むしろ「子に死なれた可哀そうな私」に全力で酔うに決まっている。

 

ろくでもない親のために、大切な自分の人生を棒にふるのはバカバカしいのでは?

 

毒親は、学業には(自分の見栄のために)お金を出してくれる。

だったら、なるべくお金を出させて学歴を積んで、

完全に縁を切れるだけの収入を確保してから、確実に縁を切ってやろう!!

そう思いました。

この記憶がよみがえるたび、親に医学部受験で9年浪人させられ、親を殺した方の話を思い出します。絶縁していなかったら、私はこの人だったかもと思います。

教育虐待とは何か?【医学部受験で9年浪人・母殺害事件を受けて】この記事では、教育虐待についてご紹介しています。医学部受験で9年浪人した末、母親殺害という痛ましい事件を受け、教育虐待してしまう毒親の特徴や、その行動について、実体験をふまえ解説しています。...

(余談)絶縁するために最も必要なこととは?

今、私は社会人になり収入があります。親に頼らなくてもいい収入があるというのは、毒親の影響を受けないために、本当に大切だということが身に染みています。

例えば収入が頼りなくて家賃が払えず一人暮らしできないため、実家に住み続け毒親の毒を受け続けているというパターン。

毒親との生活に精神を蝕まれ、メンタルをやられてうつ病になり、働けなってしまうというのもよく聞きます。

独立したけれど金銭面で厳しく、結局毒親に頼らざるをえなくなり、生活に入り込まれてしまうパターン。こちらも結構耳にします。

 

金銭面での安定した独立は、毒親からの解放に最も近づきます。

子どもが親の支配を受けざるを得ない理由は2つあり、未成年だからという理由が1つと、もう1つは金銭的な自由を握られているという点です。

親に頼らないといけないというウイークポイントをなくすことで、経済的にも精神的にも解放されることができます。

そして、絶縁当日

そして、社会人1年目、お金が溜まったとき、貯金を全部引っ越しにつぎ込み、家を出ました。

まわりに話すと「そんなに辛いなら、なぜもっとはやく自立しなかったの?高校生でも働けるじゃないか」

と言われることがありますが理由は上のとおりで、お金がに困って出戻ったり、親に頼ってつけいられるスキを作りたくなかったからです。

絶縁するなら、成人して経済力を確保してからの独立を絶対にお勧めします。

いつでも家を離れられる経済力があると、家から離れようという気持ちの後押しになりますので、ぜひおすすめです。

みけ
みけ
そうはいってもタイミングってなかなか難しいよね。親のせいで病んじゃったり、洗脳されていたり…
くろ
くろ
そうだね。絶縁タイミングについても書いているから、こちらも読んでみてね
【いつ絶縁する?】毒親と縁を切る最もベストなタイミングとは? タイミング①:学生(高校生)のうち…× 私の高校時...

 

まとめ

今回は、絶縁を決意するまでの体験談についてご紹介しました。

絶縁してからどうなったか、フラッシュバックのつらさ、家庭をもつこと、子どもをもつことへの恐怖をどうやって乗り越えたかについて、次の記事へどうぞ!

【毒親からの脱出】毒親体験記・下【絶縁しても苦しい?】毒親との絶縁を体験談にしてまとめています。この記事では、絶縁した日からその後の結婚、現在までをまとめています。親と距離をとっても、分籍しても、そう簡単には自由にはなれません。ですが、絶縁を後悔したことは、今まで一度もありません。...
みけ
みけ
えっまだつらいの?
なや
なや
そんな簡単に幸せになれるわけがなかろう。

以上、お読みいただきありがとうございました!