今回は、前回の毒親体験談の続きをお話しします!
自分の親はおかしいと気づいてしまったとき(小学生)から、絶縁を決意するまで(成人)の話です。
毒親と気づいたら、ネグレクトが始まった(13歳~)
子どもが思い通りのルートに進まなかったことですっかり失望され、今までの超過保護ガチガチの管理社会から一変して、超放置・いないもの扱いが始まりました。
この手のひら返しにはさすがに参りました。
今まで、今日は何時に何をするか、全部毒親に決められていたので、急な手綱の放棄に、「自分が今日何をすればいいのか」が本気でわかりませんでした。
自走力というやつが全くなく、自分で考え行動できる力がなかったので、本当に困りました。
制服の着方一つわからず、制服のリボンの結び方は友人に教えてもらう羽目に。
時間管理も一切してこなかったので、当たり前のように遅刻していまう毎日。
お小遣いはもちろん0円。放置されていてもお金がなければ何もできません。
親のおかしさについて調べまくった(中学生)
気づいてからというもの、いかに親がおかしいのか、「機能不全家族」や「アダルトチルドレン」についてネットで調べまくり、親に訴え続けました。
しかし、子どもの言うことなんて耳に入らないのが毒親という生き物です。
親の言うことを聞かない、反抗する家庭内の異分子として、今度はひらすらに虐げられ始めました。
私「歯が痛くて病院に行きたい」→毒母「その金で遊ぶんだろww」→私「いや虫歯だから…お金ください…」→毒母「なら頭下げろよ。稼げないくせに」→私「( ゚д゚)」
私「制服を1年も洗ってないからクリーニングに出したい」→毒母「お前は本当に金がかかるな!早く家から出てけ!」→私「( ゚д゚)…?」
私「ピアノを辞めたい」→毒母「こんなに金をかけたのに無駄にしやがって!ならお前の学校も辞めさせるからな!!」→私「( ゚д゚)…ナゼ…」
ぶつかるたびに暴力暴言+脅し、というかそもそも会話が通じません。子供の人権などありません。
出来損ない、ごくつぶしとあざけ笑われ、部屋は無遠慮に漁られ、歯向かうと物を捨てられ、学校に行かせないと脅され、絶対的な家庭内権力の差に、子どもの身分で親に逆らうことができません。
しかし、衣食住は与えられ、目に見えるところに暴力は振るわないので、周りからはわからないんです。
しかも私立中学、周りから見たら、「お金をかけてもらっているお子さん」にしか見えません。
夜は毎日くやしさと怒りで頭の中が真っ赤になり、泣き疲れて寝落ちする有様で、毎日死ぬほど泣いても涙は枯れないということを知りました。
なお、毎日毎日大声で親と言い争い、家では結構な絶叫や、物がぶつかる大きな物音もしていたと思いますが、近所の人が何か言ってきたことも、助けてくれたことも、一度としてありませんでした。
訪れた最悪の日(15歳)
毒母の暴言、暴力は日常茶飯事でしたが、どうしても忘れられない、最悪な日があります。
この日が絶縁を決意する強いきっかけになったと思います。
いつものように、どうでもいいことで毒母と諍いになった時。
毒母は、従わない、自分に首を垂れない娘に苛立って、つかみ合いに。
そのままベッドの端に押し倒され、首を絞められました。
「お前さえいなければ!!!!」
父親に助けをもとめたら、敵が二倍に
もがき腕を振りほどき、パニックになりながら仕事中の父親に電話をし、夜の近所の公園に逃げました。
ホームレスがうろついており、めちゃくちゃ怖かったのを覚えています。
父親が帰ってくるのを見計らって帰ると、物を全部捨てられ荒らされた自分の部屋に、真っ赤な顔の毒母と、立ち尽くす毒父がいました。
父親がなだめてくれたのかな、さすがに仲裁してくれるかな、という淡すぎる希望もむなしく、
「お前、お母さんに何をしたんだ」
縁を切ることを決意
父親も、母親も、もう駄目だ。どうにもならない。
この日まで私は、自殺願望がありました。
毎日辛かったから、終わったら楽になるんじゃないか、と思っていたものありますが、自身がいなくなれば、親は自分のやったことに後悔してくれるのではないか?「ごめんね」って謝ってくれるんじゃないか?と思っていました。
それと同時に、物騒ですが毎日毎日、親を殺すことでも頭がいっぱいでした。家ごと燃やしてやろうか、それとも寝ているところを…
しかし、この日を気にこれらの考えが大きくかわりました。
もし○してしまったら、何年も少年院や刑務所に入らないといけない。出たあともろくな仕事には就けないだろう。親を殺したという事実を一生背負うのは自分だ。
もし自分を殺しても、親に反省してもらったとして一体何になるのか?いや、あの親が反省するわけがない。むしろ「子に死なれた可哀そうな私」に全力で酔うに決まっている。
ろくでもない親のために、大切な自分の人生を棒にふるのはバカバカしいのでは?
毒親は、学業には(自分の見栄のために)お金を出してくれる。
だったら、なるべくお金を出させて学歴を積んで、
完全に縁を切れるだけの収入を確保してから、確実に縁を切ってやろう!!
そう思いました。
この記憶がよみがえるたび、親に医学部受験で9年浪人させられ、親を殺した方の話を思い出します。絶縁していなかったら、私はこの人だったかもと思います。
(余談)絶縁するために最も必要なこととは?
今、私は社会人になり収入があります。親に頼らなくてもいい収入があるというのは、毒親の影響を受けないために、本当に大切だということが身に染みています。
例えば収入が頼りなくて家賃が払えず一人暮らしできないため、実家に住み続け毒親の毒を受け続けているというパターン。
毒親との生活に精神を蝕まれ、メンタルをやられてうつ病になり、働けなってしまうというのもよく聞きます。
独立したけれど金銭面で厳しく、結局毒親に頼らざるをえなくなり、生活に入り込まれてしまうパターン。こちらも結構耳にします。
金銭面での安定した独立は、毒親からの解放に最も近づきます。
子どもが親の支配を受けざるを得ない理由は2つあり、未成年だからという理由が1つと、もう1つは金銭的な自由を握られているという点です。
親に頼らないといけないというウイークポイントをなくすことで、経済的にも精神的にも解放されることができます。
そして、絶縁当日
そして、社会人1年目、お金が溜まったとき、貯金を全部引っ越しにつぎ込み、家を出ました。
まわりに話すと「そんなに辛いなら、なぜもっとはやく自立しなかったの?高校生でも働けるじゃないか」
と言われることがありますが理由は上のとおりで、お金がに困って出戻ったり、親に頼ってつけいられるスキを作りたくなかったからです。
絶縁するなら、成人して経済力を確保してからの独立を絶対にお勧めします。
いつでも家を離れられる経済力があると、家から離れようという気持ちの後押しになりますので、ぜひおすすめです。
まとめ
今回は、絶縁を決意するまでの体験談についてご紹介しました。
絶縁してからどうなったか、フラッシュバックのつらさ、家庭をもつこと、子どもをもつことへの恐怖をどうやって乗り越えたかについて、次の記事へどうぞ!
以上、お読みいただきありがとうございました!