今回は、私の毒親体験談です。いつ自分の親がおかしいということに気づき、どのような体験があって、絶縁したかまでをお話しします。
この記事で、毒親育ちの方の何かの参考になればと思います。
私自身は親と絶縁していますが、決して絶縁だけが親と離れる方法ではありません。毒親育ちには1人1人最適な距離の取り方があるとは思います。
こうやって絶縁できたんだな、というサンプルとして読んでいただけたらなと思います!
この記事では毒親の紹介と、自分の親が毒親だと気づくまでを、続きの記事では絶縁までの道のりについて、書いていきます。
私の毒家の紹介~ヒステリ毒母+だんまり毒父~
今から約30年前、父は地方の公務員、母は専業主婦の、特に貧乏でも金持ちでもない「普通の家庭」に生まれました。
家もあり、所得もあり、周りからは特に問題にない普通の家族に見えていたと思います。
しかし、私にとっては人格を否定され、意思を持つことを許されない、牢獄そのものでした。
メインの毒親である毒母について
毒母は、今でいうところの「自己愛性パーソナリティ障害」でした。
↓パーソナリティ障害について詳しくはこちら
とにもかくにもヒステリー。気に入らないことがあるとブチ切れて沸騰したヤカン(たとえが古い)のようにキーキー叫びだす、しかも沸点がめちゃくちゃ低いタイプです。
自己愛も自己承認欲求も強いのに、友人もいなく、夫にも愛されていなく、姑にはいじめられ、自己肯定感も低く、溜まった不満からいつも周囲への嫌味、嫉み、妬みを呪いのようにつぶやいている人でした。
田舎で「女には学歴は必要ない」と言われて育ち、学歴が低く、その劣等感は全力で子供に向きました。自分自身を向上させるという選択肢はもちろんありません。だってバカだから。
自分の子供は絶対に医者にするという壮大な庶民丸出しの野望をもち、トンビの子も鷹になるという盛大な勘違いをしたまま子育てに専念します。
子供はとにかく壊れたテレビ(昔の箱型のやつ)のようにぶったたけば良くなると思い込んでおり、習い事のピアノの最中は少しでも手を抜くと手の甲を叩かれ、何か逆らうと平手が飛んできて、加速するとお腹を殴られます。
ブス、バカ、役立たずなど、子供を罵るような言葉は日常茶飯事、親よりも幸せになることは許されず、例えば友達と遊んで楽しそうにしているだけで、「あんなことで楽しむなんて頭が悪い」などと意味のわからない理由でなじられ心を折られます。
子ども側には何か要求する権限は全くなく、もちろん小遣いもなく、すべて親の意に沿うことしか許されませんでした。
とにかく子供を思う通りに操りたいので、罪悪感・劣等感を植え付けることにおいては右に出る者がいない腕前でした。
口癖は、
「あなたのためにやっている!」
「お前のせいでうちはいつも貧乏だ!金をドブに捨てている!」※習い事や中学受験
「お前は気が利かなくてマトモな結婚なんてできないから医者になれ!」
サイレントな受動型ASD毒父について
一方、父親はとても静かな人でした。
母親にまったく逆らわず意のままに動き、声を荒げることもなく、子供が叩かれていても大泣きしていても、同じ部屋でお笑いのテレビを見ていました。
子どもから見て体が大きく(今となってはそうでもないんですが)、何も言わないその姿は、ゲゲゲの鬼太郎のぬりかべだと思っていました。
子どもの自分にとって、何もしないでぼーっと立っているような、そんな存在でした。決して「親」ではありませんでした。
周囲には、一見優しそうで柔和、ギャンブルもしない、奥さんに付き合ってあげるいい旦那さんに見えていたと思います。
私も絶縁後しばらくまで、父親は毒母の被害者だと思っていました。
毒母のヒステリーがとにかく酷かったので、言うことを聞いてあげている、虐げられているだけのかわいそうな普通の人なのだと思っていました。
おかしいよね。でも当時は自分に精一杯で、本当に気づかなかったんだよ。父親もおかしいってことに。
↓父親もヤバいと気づいたときの話はこちら
似たような環境の人で、気づいてない人って結構いると思います。
毒父は、野波ツナさんの著書の「旦那さんはアスペルガー」という本の旦那さんに似ており、受動型アスペルガー(ASD)だったようです(受診したわけではありませんが)。
まじめだけど感情の起伏が薄く、一見特に変な人ではないけど、共感力が低く、こちらの気持ちが伝わらない。一見優しいように見えるけど、相手の気持ちに興味がない。
うちの父親もこんな感じかも…と思ったらぜひ一度読んでみてください。
この本は奥さん視点ですが、他者から見るおかしさに気づくという点ではとても参考になると思います。
見栄ばかりで足るを知らない生活
旅行も外食もほとんどなく、毒母は「金がない金がない」と毎日言っていました。
毒母は夜中まで内職をしていました。
しかしよく考えると田舎ですが持ち家で、車は外車を2台所持しており、庭はいつもきれいでバラなんかが咲いていました。
さらに子どもには身の丈にあっていない数多くの習い事をさせ、私にも弟にも私立の中学受験をさせました。
身の丈の合わない生活のしていてお金がないだけだったんだよね。親の見栄のせいで、親自身の首を絞めてたっていう…
車も家もきれいで子供も良い学校に通っている奥様という理想のために、子供のやることはもちろん全部親が決めます。
何を着るか、どこの学校に通うか、どの友達と遊ぶか、何の習い事をするか、今日は何時まで勉強するか・・・
子供が親の思う立派ななにかになるまで、あやつり人形ごっこは終わりません。
そんな野望を持った毒母は今、最終的に子供(私)に絶縁されました。
自分の親がおかしいと気づいたとき(~12歳)
ガチガチに管理されて育ってきましたが、子どもは親が世界のすべてです。最初は親がおかしいなんて夢にも思っていませんでした。
しかし、ある11歳の夏、気づいてしまったのです。ほかの親と比較して、うちの親はなんか変だと。
当時は毎日毎日ピアノの練習を数時間+受験勉強させられており、毎週のように全国模試を受けさせられていました。
どんなに良い順位をとっても、悪い部分ばかりなじられ、褒められたことはありません。
模試で奇跡的に全国3位を取った時も、「は?1位じゃないの?あ、またAちゃんは上位なのねー!」でした。意味がわかりませんでした。
褒められたことがないって毒親あるあるだと思います。
でも、友達を見ていると、良い成績では親が喜んでくれ、褒めてくれます。
悪い成績をとると、次はどうするか一緒に考えてくれるようです。
なんであの子は成績が下がったのに殴られないの?
先生はこんなに褒めてもらえるのに、なんで親には褒めてもらえないんだろう?
・・・もしかして、うちの親っておかしい・・・??
といっても小学生なので、語彙力もなく、アダルトチルドレンや機能不全家族などの知識も当時は得られる機会がなく、うまく言葉にはできませんでした。
しかし、一度芽生えた猜疑心によって、成績はみるみる落ちていき、受かるはずだった第一志望も、見事、落ちてしまいました。
そして、超過保護から超放置へと変貌したのです。
以上が、毒親だと気づくまでの体験です。
気づいてしまったあとは、家庭内の異分子としてひたすら虐げられる日々が始まりました。
次は、絶縁するまでの道のりです!
大丈夫!最後には絶縁するから!!
以上、お読みいただきありがとうございました!