以下の記事の後編です!
壁④:子供をもつ恐怖をわかってもらえなかった
前の記事にも書きましたが、私は家庭や子供といったものに全く興味が持てないまま、大人になりました。
なので、いざ子供を持とうと思うと、毒親育ちならではの、子供を持つことへの不安が襲ってきました。
下記に記事に書いたような不安が、出産前の私を襲いました。
- 親がアレだったせいで、良い子育ての見本がない。
- 親のように失敗したら、自分も毒親になって連鎖したらどうしよう。
- 子育て中に過去の体験がフラッシュバックしたらどうしよう。
とにかくめちゃくちゃく不安でした。こんな私が子供を持っていいのかと自問自答の毎日でした。
産後もメンタルが弱ることは目に見えていたので、夫にも、産前は「毒親育ちが子供を持つとこんなに大変なんだよ!」とあらかじめ伝えていました。
そして、子供が生まれて、あまりに柔らかくて、弱弱しくて、自分が守らないとすぐ死んでしまうような無力さ、無条件で親を信頼してくれる愛おしさ、そんな存在を目の当たりにして、
と予想よりもずっと産後の情緒不安定が爆発している私を、夫はなかなか理解できずに困り果てていました。
そしてそのまま、私の情緒不安定と夫の育児への当事者意識の欠如が悪い相乗効果をもたらし、一時は離婚危機にもなりました。
壁⑤:産んでも里帰りで頼れない
私は、女性は特に県外には出ていかないことで有名な地方都市に住んでいて、まわりの女性の里帰り率はほぼほぼ100%です。
東京とはわけが違います。
里帰りしないと、「なんで?」と不思議がられます。保健師にも、問題がある人のような扱いを受けました。
子どもを産む前は、「出産したって夫や外部の育児サービスを使えば余裕っしょ。育児本もバッチリ読んだし。」と思っていました。
でも、子供は育児本通りには育ちません。育児サービスは意外と即時気軽には使えません。夫は日中仕事してます。
結果的に、義母がめちゃくちゃ助けてくれました。
産まれて数カ月の時期から泊まりで見てもらったりしました。
でも、義理の親ってほんと、ガチャですよね。
結婚するまで相手の親がどうかなんて、事前にかなり交流しておかない限り、ほとんどわからないじゃないですか。
私も最初はもちろんわからない状態でした。
夫は長男で、子供時代は過保護気味だったと聞いて、むしろ結婚前はちょっとめんどくさい人なのかもと思っていたくらいです。ごめんね義母。
今では義母は、息子にも私にもあんまり興味がなく、孫に夢中のおばあちゃんになりました。
七五三の着物を正絹で仕立てると言っていて、私も夫も震えています(正絹って高いらしいよ!)。
壁⑥:子供の祖母、祖父は最初から1人だけ。実家も1つだけ。
当たり前だけど、私の子供にとって、おばあちゃんは一人だけ。※おじいちゃんはもう亡くなっています。
普通の子供には2つある「おばあちゃん家」は、私の子供にとっては1つだけです。
いつか、子供は「なんでだろう」と思う日が来ると思います。それが私の最後の壁です。
いつか疑問に思う時、子供にはちゃんと説明したいと思っています。
お母さんは、おばあちゃんにいじめられたんだよ。だからもう会わないんだよ。
でも、お母さんは絶対にいつまでも娘ちゃんの味方だよ。
お父さんとも娘ちゃんとも絶対離れたりしないよ。
ずっと愛しているよ。
そんな風に伝えられたらな、と思っています。
まとめ
結婚前に想像していた通り、結婚も育児も、一筋縄ではいきませんでした。
手放しで結婚はいいぞ!子供はいいぞ!なんて簡単には言えませんし、きっと夫でなければ今頃結婚せず、単身マンションを購入して、悠々自適のおひとりさま暮らしをしていました。
それもそれで、毒親からは逃れ、自由に生きていたと思います。
でも、今は結婚してよかったな、子供を産んでよかったな、と思っています。
毒親に苦しめられた過去は変えることも、なくすことも、忘れることもできません。
でも、子どもの寝顔を見ると、苦しみが癒されていくのを感じます。新しい家庭を得た実感があります。
以上、お読みいただきありがとうございました!